焦れ
卑れ
凭れ
痺れ
第1题:
汗は、いろいろな場合に出る。暑い時はもちろんであるが、精神作用の強い場合にも出る。普通、冷汗などと言われているものは後者の汗である。暑い時の汗と精神作用による汗とは、調べてみるとまったく(ア)ものであることが分かる。 暑さによる汗は、全身に出るけれども、手のひら(手心)と足の裏との2か所だけには出ない。これは、夏に全身から汗の流れ落ちる時でも、手のひらからは汗の流れることのないことからでも分かる。 精神作用による時は、全身には汗が出なくて、手のひらと足の裏と腋の下の3か所に出るのが普通である。 また、汗の出方にも違いがある。全身の汗は、初めは少しずつ出て、だんだんにその量が多くなり、ついには流れ落ちるほどになることもあるが、手のひらなどでは、精神感動があればすぐにぱっと(一下子)汗が出て、感動が止めばすぐに止む。(イ)、その量はあまり多くない。 このように、人類の汗は温熱性発汗と精神性発汗の2種類に分けることができるが、運動の時はこの2種の発汗が同時に現れる場合がある。それは、運動により体が暖まり、また、勝敗を争ったり、記録の更新をしようといったことから、精神が緊張するからである。精神性発汗の特徴に合っているものはどれか()
第2题:
日本人の生活習慣も時代とともに変わっていく。ほんの少し前までは,春や秋になると,畳を乾燥させるために家の中から畳を外に出す光景があちこちで見られたものであり,どんなに忙しい生活をしている人でもこれだけは続けてきた。畳は暮らしの中に季節感を作り出していたのである。 が,最近では畳がだんだん見られなくなってきている。畳の上に座る,畳の上で家族みんなで食卓を囲む,畳の上に布団を敷いて寝る。客が来れば,その畳の上に手をついてあいさつをする。それが当たり前だった生活はつい昨日のようなことである。畳は日常生活とともにあったのである。 畳という言葉は,古い時代の文字や記録にも出ている。昔から日本人の生活の中にあったものと考えてよいのであろうが,そのころは床に敷く布や毛布のようなものを「たたみ」と呼んでいたらしい。(ア),使わないときは畳んでしまっていた。つまり,「畳む」ものだから畳という言葉が生まれたのだろうと思われる。 また,昔の詩の中に,「旅に出た人の使っていた畳は動かしても汚してもならない」とある。なぜなら人は旅に出ているときでも故郷に自分の心を残しており,その心は畳の上にも残っている。その畳を留守の間に大事にしないと,旅で危険な目にあったり(遇险),病気になったりする,と信じられていたからだ。昔は畳は自分一人だけで使うものだったのである。 やがて時代は変わり,畳はだんだん現在のような形と大きさのものになっていく。1人の人が寝られるぐらいの大きさが畳の標準となり,それに合わせて部屋の大きさも決められるようになったのである。最近ではすっかり目立たなくなった畳も長い歴史を持ち,日本の生活文化と深いつながり(关系)を持っているのである。畳の大きさの決められた基準はどれか()。
第3题:
第4题:
われわれ人間は高等なサルだから
森の中で、木の上に住んでいるから
前後左右を全部緑に囲まれているから
緑の中で適応してきたから
第5题:
畳と日本の旅
畳と日本の気候
畳と日本人の故郷
畳と日本人の生活
第6题:
畳は動かさなければ汚れない。
畳は動かして汚したら大変だ。
畳は動かしても汚してもいけない。
畳は動かしてはいいが汚してはいけない。
第7题:
旅に出た人
家にいる人
畳を汚した人
畳を動かした人
第8题:
運動すれば体が暖まるから
運動すれば汗が出やすいから
運動が激しければ精神が緊張し、勝敗がつくから
運動により体が暖まり、また、精神が緊張するから
第9题:
道具は物理的な効率を優先するものだが、用具は実用性だけしか重視しないものである。
用具は機能のみを重視するのに対し、道具は機能だけでなく、使い続けることに意味がある。
用具は長く使い続けられるものだが、道具は壊れやすいので長く使い続けられるものではない。
道具は半世紀あまり使われていたものだが、用具は私たちの日常生活に現れたばかりのものである。
第10题:
理科教育は数値から学問の深化と協力を理解する力を持たせることができないから、考えなおす必要がある。
理科年表は書かれた内容の意味や数値の根拠がはっきりしないと、その正確さが疑われてしまう危険がある。
学問的に正確な知識が普及しても、人々がそれを間違って受け取り、対象の本質などを誤解する危険がある。
30年前に書かれた文章の中の数字に問題がある場合、既に手遅れであってもすぐに訂正を加える必要がある。
第11题:
森の中の森の文化を知ってもらいたいから
森の中で、森遊びをさせたいから
子どもの本来の野生の力を出すようにしたいから
虫や魚など命あるものと遊びをさせたいから
第12题:
人間関係の基本原理は完全な理解ができないことを認めるうえで、近似的に他人の心に近づく努力をすることである。
人間同士理解しあうことはむつかしいということの理解が、あらゆる人間関係の基本である
われわれの人間関係は誤解にみちている。
人間関係などははかないので、それを否定すべきである
第13题:
他人に注意するのが好きな人がいる。切符売り場などで、人々が列を作って並んでいるのに、割り込む(加塞儿,插队)人に、「みんな順番で待っているのよ。」などと注意する。内心何か言いたいと思っていた他の人々は、「代わりに言ってくれてよかった。」ほっとする(安心,放心)。注意されたほうは、文句()を言いながらも、列の後ろに並ぶ。 必ずしも自分の得にならない。場合によっては損になるかもしれないのに、他人の利益のためにあえて(敢于)する、というのが「利他行動」である。 なぜ、注意することが利他行動になるのだろうか。注意された相手は、その後規則を守ってきちんとした行動をとるようになるかもしれない。(ア)、結果、その人と接する人々は、得をすることになる。自分は何の行動も取っていないのだから、「ゼロコスト」(零成本)で、そのような利益を得たことになる。 注意する人も、そのことで得することもあるかもしれない。一方で、行動することにはエネルギー(能量)が必要であり、けんかになったり、不快な思いをしたりする危険もある。そのような不利益を被り(蒙受)ながら、他者には無償(むしょう)の利益を与えるという意味で、「注意すること」は利他行動である。文中の「そのこと」の指すことはどれか()。
第14题:
特別にきれいな声ではないが、かのじょの歌には、なにか心を打たれる()。
第15题:
第16题:
ことがある
おそれがある
ものがある
ほどである
第17题:
忙しい生活をすること
畳を外に出して干すこと
あちこちで畳が見られること
生活習慣が時代とともに変わること
第18题:
畳があまり使われなくなった。
畳をまったく掃除しなくなった。
畳の上に布団を敷いて寝られなくなった。
畳の上に手をついてあいさつしなくなった。
第19题:
森遊びをすることで子どもたちに本来持つ野生の力を取り戻してほしい
人間は高等なサルだから、「緑の中にいると安心だ」という感覚を持つ
人間にとって森は第一に生産手段であり、また環境資源でもある
日本では文化資源としての森の利用が低調だった
第20题:
生産資源
環境資源
文化資源
生産・環境・文化的な資源
第21题:
森は生産・環境・文化的な資源だから
森の中に森の文化があるから
森の中で命あるものとの対話の楽しさを知ることができるから
森の中で人間の内にある自然が外の自然と触れることができるから
第22题:
注意する人は利益を得ることになるから
注意された人は利益を得ることになるから
注意された人は不利益を被ることになるから
注意する人は不利益を被りながら、他者に利益を与えるから
第23题:
ある親の人格が百である場合、わが子のためにと努力しても、大きく伸びる可能性もないのである。
努力する場合、その向上した心のレベルを日常生活でできるだけ維持するように心がけるのである。
親の人格が百五の場合、その子は努力しなくても、自然に百五のレベルを維持できるのである。
子供は努力しなければ、親のありさまを見るだけで親のレベルを維持することができないのである。