関東弁も関西弁も、心の動きを表現する点ではまったく同じである。
関東弁も関西弁も、書くのは違っていても、発音はみな同じである。
関東弁を標準語・共通語と言っても、関西人が損することに変わりがない。
関東弁を標準語・共通語と言っても、一方言であることには変わりがない。
第1题:
他人に注意するのが好きな人がいる。切符売り場などで、人々が列を作って並んでいるのに、割り込む(加塞儿,插队)人に、「みんな順番で待っているのよ。」などと注意する。内心何か言いたいと思っていた他の人々は、「代わりに言ってくれてよかった。」ほっとする(安心,放心)。注意されたほうは、文句()を言いながらも、列の後ろに並ぶ。 必ずしも自分の得にならない。場合によっては損になるかもしれないのに、他人の利益のためにあえて(敢于)する、というのが「利他行動」である。 なぜ、注意することが利他行動になるのだろうか。注意された相手は、その後規則を守ってきちんとした行動をとるようになるかもしれない。(ア)、結果、その人と接する人々は、得をすることになる。自分は何の行動も取っていないのだから、「ゼロコスト」(零成本)で、そのような利益を得たことになる。 注意する人も、そのことで得することもあるかもしれない。一方で、行動することにはエネルギー(能量)が必要であり、けんかになったり、不快な思いをしたりする危険もある。そのような不利益を被り(蒙受)ながら、他者には無償(むしょう)の利益を与えるという意味で、「注意すること」は利他行動である。文中の「そのこと」の指すことはどれか()。
第2题:
実力テスト受けたがらない学生がいる。その理由を聞くと、「もう少し実力を付けてから受けたい」と言う。気持ちは分からないでもない。でも、そんなふうに思っていると、いつまでも受けられない。例えば、着物の着方を習っている人が、上手になったら着物を着て出かけようと思う。しかし、どの程度で上手になったと言えるのか、判断ができない。それよりもまず着物を着て出掛けてみるといい。(ア)、ちょっと緊張するような場所に。もし最後まで着崩れ(穿走样)しなければ、それで自信がつく。語学にしても、まずはレベルに合わせて使ってみることだ。笑われても気にしない。そうしているうちにレベルも上がってくる。料理も同様、(イ)。批判されながら腕(本领)を磨けばいいのだから。文章の内容とあっているものはどれか()。
第3题:
わたしの知っている寿司屋の若い主人は,亡くなったかれの父親を今になっても尊敬している。死んだ肉親のことは多くの場合,美化されるのが普通だから,かれの父親の追憶もそれではないかと思っていたが,そのうち考えが変わってきた。 高校を出た時からかれは父親に寿司の握り方――寿司屋になるすべてを習った。父親はかれのご飯の炊き方が下手だとそれをひっくり返す(掀翻,倒掉)くらい厳しかったが,何といっても腕(本领)に差があるから文句は言えない。だが,ある日我慢できず「なぜぼくだけに辛く当たる(发火)んだ」と聞くと,「おれの子どもだから辛く当たるんだ」と言い返されたという。 父親が死んだ後,店を継いでみると,その辛く当たられた技術が役に立ち,なるほど,なるほどとかれはわかったそうである。 わたしはこの若主人の話を聞くたびに羨ましいと心の底から思う。そこには我々がある意味で理想とする父親と子どもの関係があるからである。 子どもはそのとき,技術だけではなく父親の生き方も学んでいく。自分の作る寿司に妥協しない父親,飯の炊き方ひとつにも誠意を持ってやる父親の生き方を技術と同時に習っていく。それが本来父親というものだ。文中に「なるほど,なるほどとかれはわかった」とあるが,わかったことはどれか()。
第4题:
第5题:
東大の医者がもっときちっと仕事をすれば、病院で亡くなる患者は減るということ
患者より自分の生活が大切だと考える医者は、東大の医者とは言えないということ
医者であっても、退職後の生活に不安があるということ
医者であっても、自分の死は現実ではないということ
第6题:
自由に行動できるから
人間の近くにいられるから
おいしい料理が食べられるから
勝手に座りこんだりすることができるから
第7题:
列の後ろに並んでください。
列の真ん中に並んでください。
みんな文句を言っているのよ。
みんな切符を買っているのよ。
第8题:
「わたしはくつろいでいますよ」ということ
「わたしはあなたとまったく同じですよ」ということ
「わたしはあなたといると気分がいいですよ」ということ
「わたしはあなたと同じことをしていますよ」ということ
第9题:
大学の数学を理解する才能
大数学者が持つ特別な才能
日常生活をきちんと遅れる才能
線や記号で空間を平面にする才能
第10题:
富士山は初めてだったので、何も言えない
富士山が湖に映っているのを見て、何も言わないで感心している。
富士山の雄大さに感動している。
富士山の美しい姿に心を動かされている。
第11题:
自然も感覚の世界である。
人間は読書が好きである。
読書は人間の持つ特権である。
人間も動物も同じ世界を持っている。
第12题:
はじめに
はじめて
からというもの
からでないと
第13题:
多くの人が数学の才能があるかないかと言うことを学生時代の数学のテストの点数で論じているのだ。しかし、小学校の算数から始まって、大学までの数学を理解するのに、才能も何も関係ない。それを理解する能力は、日常生活をきちんと遅れる能力とあまり変わらない。そう私は思っている。「数学の才能」と呼ぶのにふさわしい能力の持ち主は、歴史に名前を残しているような大数学者のことを言うのであって、百年に1人いるかいないかだというのが私の考えなのだ。 では「大学程度までの数学を理解する能力」、すなわち「日常生活をきちんと送れる能力」とは、どんな能力だろうか? 大体次の四つのことができる能力と考えればいいだろう。それができれば、後は努力によるものである。 その四つとは、「辞書を引くことができる」、「自分のかばんを自分のロッカーに入れられる」、「料理を作れる」、「地図を描ける」である。なぜ、これらの能力があれば大学までの数学は理解できると言えるのか。 例えば、「英語の辞書が引ける」ということは、アルファベット(英文字母)26文字の順序関係を理解できることだ。「自分のロッカーが使える」ということは、すなわち、「一対一」対応の考え方を理解できるということだ。「料理を作れる」ことは、ものを観察し、予測する力があることを意味し、「地図を描ける」ことは、線や記号を使って実際の空間を平面にする能力、すなわち、抽象化する能力を意味しているのだ。 だから、これらの四つの能力があるのに、数学ができないという人は、数学を理解する能力がないということではなくて、単に努力をせず、怠けていただけだと思うのだ。文中の「私の考え」はどれか()。
第14题:
ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。 じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。 テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。 ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。 それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。 映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。この文章の内容に最も合っているものはどれか()
第15题:
電車の音が生々しい「質感」として聞こえていることに気付いた。
従来の科学的世界観に限界があることをはっきり悟った。
電車の音は周波数で分析できないことが分かった。
自分の研究対象は数量的に表すことのできるものであることに気づいた。
第16题:
注意すること
けんかすること
文句を言うこと
不快な思いをすること
第17题:
忙しい生活をすること
畳を外に出して干すこと
あちこちで畳が見られること
生活習慣が時代とともに変わること
第18题:
言わずにはおかない
言わないものではない
言うものではない
言わざるをえない
第19题:
分かったと心の底から感じることができるもの。
実際に聞くことができるあこがれの人や有名人の話。
人と話す勇気が持てて積極的になることができるもの。
自分が生活する地域にいる人がしてくれるおもしろい話。
第20题:
があるから
があったところで
なくしては
があるばかりか
第21题:
人に負けないように努力しているから
社会的地位が同じだということを確かめているから
誰にでも知らないうちにマネをする癖があるから
知らないうちに人の動作を身に付けるようになるから
第22题:
注意する人は利益を得ることになるから
注意された人は利益を得ることになるから
注意された人は不利益を被ることになるから
注意する人は不利益を被りながら、他者に利益を与えるから
第23题:
若者には若者の、熟年者には熟年者の満ち足りた人生を送ることのできる可能性があること
あらゆる事柄には相反する部分があり、その調和を試みるところに人間の創造力が発揮されること
常に性能やスピードを追求するよりも、時には余裕を持って全体を見渡してみることが大切であること
実用性能の点で劣っている道具にも、人間の創造力を刺激するという観点から見ればプラスの性質があること。