中国語の“住宅小区”は日本語の「()」に当たります。
第1题:
共同体の<語りごと>の専門的な伝承者は()という。
第2题:
日本語()辞書はありますか。
第3题:
この本の()は『日本語能力試験に出る文字・語彙』だ。
第4题:
日本語の漢字の読み方には、()読みとおん読みがあります。
第5题:
どう
こう
そう
ああ
第6题:
敬語が多用されること
敬語の価値がさがること
敬語の価値があがること
敬語が禁止されること
第7题:
今の日本語
時代と言葉
昔の日本語
ほかの言語
第8题:
町
団地
アパート
マンション
第9题:
大学の数学を理解する才能
大数学者が持つ特別な才能
日常生活をきちんと遅れる才能
線や記号で空間を平面にする才能
第10题:
何もしなくても日本語が上手になること
学校に行かなくても日本語が上手になること
生活していくうちに日本語が上手になっていくこと
子どものように遊んでいるうちに日本語が上手になっていくこと
第11题:
英語などでは兄と弟のように年の上下で言い分けるのに、日本語では兄弟を男女の性によって分けている。
日本語ではいつも「僕は君より三つ兄きだ」などのように兄弟を二手に分けている。
自分を基準にすえて兄弟を上下にふるい分けることは、日本人の自己中心という視点からである。
姉も妹も含まれるのに「兄弟」で呼ぶのは男女差別もはなはだしい表現である。
第12题:
どう
どんな
どこ
どの
第13题:
多くの人が数学の才能があるかないかと言うことを学生時代の数学のテストの点数で論じているのだ。しかし、小学校の算数から始まって、大学までの数学を理解するのに、才能も何も関係ない。それを理解する能力は、日常生活をきちんと遅れる能力とあまり変わらない。そう私は思っている。「数学の才能」と呼ぶのにふさわしい能力の持ち主は、歴史に名前を残しているような大数学者のことを言うのであって、百年に1人いるかいないかだというのが私の考えなのだ。 では「大学程度までの数学を理解する能力」、すなわち「日常生活をきちんと送れる能力」とは、どんな能力だろうか? 大体次の四つのことができる能力と考えればいいだろう。それができれば、後は努力によるものである。 その四つとは、「辞書を引くことができる」、「自分のかばんを自分のロッカーに入れられる」、「料理を作れる」、「地図を描ける」である。なぜ、これらの能力があれば大学までの数学は理解できると言えるのか。 例えば、「英語の辞書が引ける」ということは、アルファベット(英文字母)26文字の順序関係を理解できることだ。「自分のロッカーが使える」ということは、すなわち、「一対一」対応の考え方を理解できるということだ。「料理を作れる」ことは、ものを観察し、予測する力があることを意味し、「地図を描ける」ことは、線や記号を使って実際の空間を平面にする能力、すなわち、抽象化する能力を意味しているのだ。 だから、これらの四つの能力があるのに、数学ができないという人は、数学を理解する能力がないということではなくて、単に努力をせず、怠けていただけだと思うのだ。文中の「私の考え」はどれか()。
第14题:
日本語クラスの教室は二階()三階です。事務室は四階です。
第15题:
「あの人は、大学生の子供がいるそうですよ。」「本当?()は見えませんね。」
第16题:
現代人の生活はテレビなどのマスメディアなしには()。
第17题:
の
と
が
を
第18题:
標準語を大阪の子供に強いるのは愚かなことだ。
関東弁よりは大阪弁を標準語とするほうがよい。
大阪弁は標準語よりも、新鮮さ・面白さで勝っている。
一般的に大阪弁は標準語より心の動きを述べるのにふさわしい。
第19题:
へ
を
で
に
第20题:
語れるだろう
語れない
語れるわけである
語れずにすむ
第21题:
日本語の先生がいる環境
相撲取りになるための環境
みんなで一緒に合宿生活をする環境
日本語を使って暮らさなければならない環境
第22题:
語る
語らない
語れる
語れない
第23题:
メッセージ
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ヒント
タイトル